経営者には、自身が起業した方や、親族内による事業承継など経営に携わるシナリオは様々です。
今回は県内企業の二代目経営者が県外の同業者、つまりはライバル企業へ譲渡した案件についてお話させていただきます。
今回のご依頼は、以前にM&Aにより企業を買収したいとご依頼をいただきご検討された企業様からでした。
この度は、企業譲渡についてご相談されたいとのことでしたので、直ぐにアポイントメントを取り、訪問させていただきました。
本件は、県内で創業50年以上、親子二代に亘って経営に携わっておられる鋼板卸業、K社でした。
K社のO社長はご家族以外にはまだ企業譲渡に関するお話はされていない段階だったため、打ち合わせはO社長のご自宅にて行わせていただきました。
事業承継をお考えの経営者の方は70歳前後の方が過半数を占めている中、初めてのご対面時に印象深かったのは「まだまだ第一線で活躍されている現役経営者」といった佇まいや勢いを感じ、他の私のクライアント様の中でも群を抜いてお若かったと記憶しています。そして、経営者としてだけではなく、人を惹きつける魅力をお持ちの方という印象でした。
O社長は広島県北部にて長男として生まれ、高校生まで県内で過ごし、県外の大学へ進学、卒業後は家業を継ぐための修行として関東で就職されました。そして5年間商いについて学ばれた後に、地元である広島へ戻って来られ、代替わりをするまでの15年間は自社の経営について学ばれ、先代が会長職へ就任されたタイミングでO社長が承継されました。
今回外部への事業承継をご決断されたのには、2つの大きな要因がございました。
1つ目はO社長のご子息が「自分が会社を継ぎたくない」と承継をお断りになったことです。O社長にはご子息とご令嬢がいらっしゃいます。O社長はご子息を跡取りとなることを意識してお育てになり、ご自身が歩まれたように県外へ修行に出されていらっしゃいました。O社長が前社長から経営を受け継いだ後は、ご子息が後継者として運営しやすい経営体制を整えることに尽力されていたそうです。そんな矢先、修行を終えたご子息より、経営者の重責を感じ後は継ぎたくないと告げられたそうです。
社員に後継者になってもらうことも検討されましたが、O社長が考える後継者像を妥協することができず、断念されたそうです。また、外部から転籍などで経営者を迎えることも難しいとのご判断に至りました。
2つ目は、コロナ禍もあり業界全体の業績が思わしくなく、K社の価値も下り坂の兆しが見え始めていたことでした。
O社長は元来一度決心を固めると前に突き進むタイプだと仰られていて、正に事業承継をご決断され私と面談を重ねて正式なM&Aへのご契約手続きをされる過程でも、躊躇する事なくお話を進めていかれ、固いご意志を感じました。
早速お相手探しが始まりました。O社長が譲受企業に求めることとして、従業員の雇用を守ること、そして先代社長であるお父様が築かれた会社の基盤をそのまま守ってもらうことに重点を置かれていました。
まずは広島県内、そして県外へリサーチし譲受先企業の候補は100社近くございましたが、なかなかO社長のご希望に沿う企業は現れません。そうして2ヶ月程経過した頃、全国区の企業H社が候補に浮上しました。O社長はご希望軸を曲げることなく慎重に検討され、実際にH社を訪問、そしてH社の社長と面談されるなどした結果、最終的に譲受先企業としてH社に決定されました。
同業界のライバル企業であるH社は、内情の素晴らしい企業だったことが決め手となった、と仰っておられました。
そうして、正式にK社の事業承継の手続きは進み、最終的にO社長は会長として今後も経営に携わり、従業員達の雇用も守られることとなり、非常に円満な事業承継が成就しました。
そして後日O社長は、
「どんなに会社の存続が厳しくても、父が創った会社を廃業するつもりはなかった。」
「会社を良い状態のまま引き継ぐことの責任がこれほどのものとは思っていなかった。」
「業界全体として縮小傾向にあり選択肢が限られる中で、早く決断して本当に良かった。」
そう仰っていました。
経営学者のP.F.ドラッカーは著書「現代の経営」中で『会社経営の目的は、存続し続けること』と教えてくれています。
今回のO社長のように、二代目として好業績経営を続けることの重責や、次の代が好ましい状態でバトンを渡すことの難しさ、これはどの企業にも起こり得ることだと改めて考えます。
いかがでしたか?
会社の置かれている状況は各々であり、決断を迫られるタイミングもそれぞれでしょう。
ただひとつ言えることは、どのような状況であっても後に振り返った時に、経営者としてあの時決断して本当に良かったと思えるような最高の事業承継をお薦め致します。